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2013年5月 管理人

2011/09/30

某国際会議の申し込みを済ませた

某国際会議の申し込み期限が今日までだったので、とりあえず申し込み手続きだけ済ませた。EDASによる申請であったので、最悪間に合わなければ、Withdrawで対応できそうだ。今週末の休日もなくなることが決定した。

2011/09/28

後期の講義のため宇多津にやってきた

先週は台風のため授業が休講になってしまったため、実質的に後期最初の講義であった。そのため、ガイダンスと最終課題の説明および質疑応答などを行った。授業が終わってから急いで高松に戻り、工学部で開催されている4年生の中間発表の聴講に参加した。うちの研究室の発表は最後であったため、なんとか間に合った。午後からバタバタして疲れた。

2011/09/24

4日間を最大限に使って、論文推敲作業に並行して某研究会の論文を1本書いた

しめきりが間際に迫っていたため、実質4日弱で某研究会に提出する論文を1本書き上げた。しかも、完全ひきこもりではなく他の作業、および投稿論文の推敲作業と並行したのでかなりヘビーだった。某国際会議の初版原稿の締め切りまで、あと3日だけど間に合うのだろうか。まあ、草案をとりあえず出しておいて、10月3日に完成させれば良いので、何とかなりそうだけどつらい。

2011/09/23

某学会に参加するために徳島にやってきた

某学会が徳島県にある阿南高専で開催されるため、徳島に移動することになった。私の発表は午前の最初のセッションであるため、会場までの所要時間を3時間、余裕を持たせて朝4時すぎに出発することに決めた。しかし、準備に手間取ったため、4時30分に自宅を出発した。香川県道10号線を徳島方面へ走り、町田交差点から国道11号線に乗り換えた。朝が早いこともあり、道路はほとんど車が走っておらず快適だった。徳島市内に入ると6時すぎだったので、国道55号線沿いにあった、すき屋で朝食を済ませた。

阿南高専に到着して駐車場に車をとめたが、受付開始時間まで、まだ30分近くあったため、車の中で待機した。窓を少しあけると、心地よい風が車内に入ってきた。8時すぎに受付を済ませ、発表の会場となる教室へ移動した。セッションがはじまるまで、40分近くあったので、パソコンでの作業を進めた。私の発表は午前の最初のセッションの最終発表であったため、待ち時間が1時間近くあった。プレゼン、質疑応答ともに、大きな問題なく終わることができた。研究の進捗に関わる大きなメリットはなかったが、某大学の先生と名刺交換をすることができたのでよかった。アマチュア無線家、同じ高校の卒業生ということで、以前から知っていたので、とてもうれしかった。午前の第2セッションも同じ教室で発表を聞いた。昼頃に学生ブランチの教室へ行くと、アンケートに答えると無料でお弁当がもらえた。お弁当の空き箱を返しに行くと、用意していたお弁当がすべて売り切れていたようだ。以前参加したときもお弁当を無料でもらったが、そのときは、お弁当が余ってしまい、うちの研究室の若い連中が2つもらっていた記憶がある。

午後のセッションの開始は14時30分すぎで、2時間ほど待ち時間があった。そのため、車に戻り、1時間ほど仮眠をとることにした。窓を少しあけると心地よい風が入ってきて、暑くもなく寒くもない丁度良い寝心地だった。そのため、午後のセッションを10分ほど寝過ごしてしまった。午後のセッションは、午前中に参加したセッションが開かれた隣の教室に入り、学生さんの研究成果を聴講した。午後の第2セッションは、後輩くんが初めて発表するということで、セッションの最後までつきあうことにした。後輩くんにとっては、学会の空気を吸って、肌で感じて、とてもよい勉強になったのではないかと思う。17時すぎに会場を後にし、国道55号線をひたすら徳島市内方面にむけて移動した。高松自動車動の鳴門~板野の区間が、先日の台風で被害を受けて通行止めであったため、徳島市内から脇道にそれて、板野ICから高速道路に上がった。津田の松原サービスエリアにて簡単に夕食を済ませ、高松中央ICで下りた。帰宅後、とりあえず着替えて一服してから、そのまま寝た。

2011/09/16

日本に向けて出発した

昨晩は早めに寝始めたおかげで、6時間弱ほど寝ることができた。夜中の1時30分すぎから、荷物の最終点検、移動のための準備をはじめた。2-3時間ほどパソコンで作業してから、寝ないように注意しながら体を休めた。5時30分すぎにホテルをチェックアウトし、電話代として2加ドルを支払った。また、部屋の枕チップとして、2加ドルコインを1枚と、1-10セントコインを数枚、「Could you use these small coins」(これらの小銭を使ってください)というメモと共に、数十セント分残しておいた。始発の地下鉄でKipling駅まで移動し、シャトルバスでトロント空港まで乗り継いだ。私はエアカナダを使って、バンクーバー経由で東京・成田空港へ飛ぶ予定だ。エアカナダが入っている第1ターミナルでバスを降り、エスカレータを乗り継いで3階の出発ロビーにたどり着いた。エアカナダのチェックインカウンタの前に立っていたお姉さんにバウチャーを見せると、あそこのカウンターに行きなさいと指示を受けた。それからそのカウンターに行くと、受付のおじさんがちょうど出てきて、にこやかに、これはあっちのカウンターだよと教えてくれた。ようやく目的のカウンターにたどり着いたと思ったら、そのお姉さんは、あっちの人が並んでいる所に行きなさいと言われた。その列に並んで、2番目に呼ばれると、要するに、あなたは既に予約が完了しているので、あっちの機械を使って搭乗券を発行しなさいといわれた。

さんざん、あちらこちらに移動した結果、高速チェックイン機にたどり着いた。高速といいながらも、前の人の処理の画面で半分フリーズしており、しばらくしてから、私の事務作業ができる状態になった。日本の機械とは違って、とにかく動作が遅く、全く高速ではなかった。日本語メニューを選択し、予約番号を入力してから、順番にボタンを操作していき、最後にパスポートを読み込ませると、搭乗券と預け手荷物のタグがでてきた。預け荷物は最大で2個まで大丈夫だったようで、スーツケースとボストンバックを預けた。預けたあと、「Needa pick up in vancuvor?」(バンクーバーで荷物をとらないとだめですか?)と聞くと、「No」(いいえ)という返事が返ってきた。確認のために、「I can get in Tokyo?」(東京で荷物を受け取れますね)と聞くと、「Yes, you ??? Narita ???」(はい、??? 成田)と聞き取ることができた。どうやら往路とは違い、復路では途中で荷物を預け直す必要がないということが分かった。

セキュリティでは、ポケットの中身をすべて出すのはもちろん、靴まで脱がされてチェックされた。調査官にポケットの中身はないか聞かれたが、そもそも、ジャージにTシャツというかなり楽な格好であるため、時計、お札を止めるマネークリップを除いて、一切金属を使った製品を身につけていない状態だ。制限エリア内にあったカフェにて、ハムとチーズが挟んだ巨大なクロワッサンを注文した。私の注文する2つ前の人が現金で購入しようとしたところ、5加ドル札の準備がないようで、お客さんの間で両替できないか聞いてきた。私の前の人は、マスターカードで購入し、私は10加ドル札で買う予定だったので、残念ながら両替をすることができたなかった。クレジットカードを使う人がほとんどなので、レジの中に釣り銭を十分に用意していないというのは本当のようで、大きい額の現金は確実に崩していかないとだめだということが分かった。現実的に、1/5/10/20ドル札が一番使いやすいということを身を持って体験した。しかし、外貨両替をするときは、50ドル札が一番便利だと感じた。100ドル単位よりも50ドル単位の方が小回りが利くし、50ドル単位で両替をすれば、20ドル札以下の紙幣で確実にもらいやすいと思う。

ゲートの近くに公衆電話があったので、実家宛に電話連絡をした。また、コーヒーを飲みながらポメラでブログ記事をタイプしていると、某国際会議で知り合った方と偶然出会った。搭乗手続きは定刻通りはじまり、出発も定刻通りになされた。トロントからバンクーバーは、エアーカナダで移動し、バンクーバーにて成田空港行きのJALの飛行機に、1.5時間弱で乗り換えをする必要がある。バンクーバー空港に到着すると、定刻よりも20-30分程度遅れていた。すなわち、実質30-40分の間に、飛行機を降り、国際線のターミナルに移動、JALのカウンタで搭乗券を発行、セキュリティゲートを通過、税関・出国をして、免税店でうちの母親に頼まれた化粧品を購入、乗り継ぎ便に搭乗する必要があった。

飛行機を降りてから、「International airline」(国際線)の矢印をたどって行った。途中で矢印を見失いかけたので、インフォメーションで、「Where can I access to Japan, Japan airline?」(日本行きの飛行機は、どこに行けば乗れますか?)と聞き、「?? straight ?? through door ??? left ???」(直進 ??? ドアを抜けて ??? 左方向)と教えてもらった。とりあえず目に入ったドアを通過し、トイレがあったので用を足しておいた。それから、そのまま指示通りに移動していると、各国際線を提供する航空会社の窓口が見えてきた。その中にJALのロゴがなく、また見失ってしまった。そこで、再度、近くのインフォメーションに行き、「Where can I access to Japan, Japan airline?」と同じ質問をした。しかし、お姉さんは、要するにあんたの言っていることは、意味が分からないと返された。そこで、「OK, I hafta go to Japan. WHERE I GO JAPAN!!」(私は日本に行かなければならない。どこ?、私、行く、日本!)とゆっくりと言うと、隣のお姉さんが、日本航空のカウンタに行きたいのであれば、この道をまっすぐ行って、徒歩3分かかると教えてくれた。その後、がんばって直進しても、全くそれらしいカウンタが見つけられなかったので、さらに、インフォメーションの年配のお姉さんに、「Where can I access to Japan, Japan airline?」と聞くと、場所を指で指されながら、あちらの方へ行きなさい、ただし、エスカレータなどまで行くと行き過ぎだと教えてくれた。その指示通り歩いていくと、ようやく右手にJALのカウンタがあったので、「Where can I check in?」(どこで、チェックインができますか?)と尋ねると、日本語で、後ろのカウンタですよと教えてくれた。ここにきて、ようやく日本語で会話ができるエリアに入ったようだ。

JALのカウンタには、数人と数十人が並んでいる2つの列ができていた。おそらく、数人の列は優先搭乗の方だと思ったが、とりあえずそちらに並び、ダメだったら別の方法を聞こうと考えた。結果的に、数十人が並んでいる列は、隣の航空会社の列が長すぎて、はみ出して、JALの方まで侵出していたようだ。予約票、荷物引換券、パスポート、JALマイレージカードを渡すと搭乗券を発行してくれた。搭乗ゲートの場所を聞くと、そこをまっすぐ行って、レストランの横を左に曲がって、そのまま、まっすぐと教えてくれた。しばらく行くとセキュリティーゲートがあり、その前にアジア系の人が列を作っていた。ただ、その集団は全く動く気配がなかったので、文句を言われれば並び直せばいいと考え、その列を無視して横からからゲート方面に行った。入り口に職員らしいお姉さんが2人立っていたので、「Security check is available?, OK?」(セキュリティチェックはいいですか?)と聞くと、「OK, OK, Go ahead!」(大丈夫、あちらに移動して!)と教えてくれた。どうやら、その集団は、そこにたむろっているか、どうすればいいか迷っているだけの集団か、よく分からない集団のようだった。紛らわしいので、別の場所でやってほしい。また、別の西洋系の人もその集団に、私と同じように戸惑っていた。

セキュリティゲートの前に行くと、黒人のごっついお兄さんが、空いているゲートを指示していた。はじめ、5番といいかけたが、7番があいたのでそちらを案内してくれた。リュックからノートパソコンを取り出し、腕時計とマネークリップや小銭をすべてトレーに乗せ、搭乗券とパスポートを渡すと、あっさりと通過することができた。セキュリティーゲートを抜けた所で、搭乗時刻まで、残り15分をきっていた。目の前にCHANELの文字が飛び込んできたので、すぐにそのお店に行き、頼まれたシャネルの粉おしろいの商品名や色を書いたメモを店員のお姉さんに渡した。すると、すぐに該当する商品の場所に案内してくれた。すると、「color さんじゅう?」(色は30番)と確認してきたので、「Yes, Yes!」(はい)と答えた。そうすると、後ろから年配のお姉さんが出てきて、「ソレ、チガウ、コッチネ」と若いお姉さんのとった商品を換えた。「メモ、ミセテ」というので、そのまま渡すと、年配のお姉さんの方が正しかったようだ。それから、「Eau de toilette, number is ninteen! 百ある?百ある?」(シャネル19番のオードトワレ、100ある?100ある?)と聞くと、「アルヨ、19バン、アタラシイヤツネ、ヒャク、アルヨ、ホカハ?」と答えてくれた。最後に、「That's all, thank you, thank you」(それですべてです、ありがとう、ありがとう)とお礼を言うと、店員のお姉さんたちは笑っていた。また、年配のお姉さんが、「オトサナイヨニ、キヲツケテ!」と笑いながら見送ってくれた。かなり慌ただしい買い物が、よほどおかしかったのだろう。それから、「カイケイ、チュウオウ、アッチ、レジネ」と教えてくれた。本来であれば、余ったカナダドルの現金をすべて処分したかったのだが、乗り継ぎの時刻まで残り5分前後だったので、CITIカードでそのまま切った。

搭乗ゲートに到着すると、既に飛行機への搭乗手続きがはじまっていた。ひとまず、近くにあった公衆電話から、実家宛に、「バンクーバー空港に着いた、これから乗り継ぎ、時間がないから、切るよ」とだけ、数秒足らずの電話連絡をした。また、自動販売機で水が2.25加ドル(約180円)で売られていたので、2ドルコインとクオーターを入れて、水を1本購入した。そして、とりあえずいすに座って、先ほど購入した化粧品をバッグにしまい、水を2-3口ほど飲んでから、搭乗手続きが行われている列に並んだ。成田空港行きのJALの飛行機は、定刻通り出発することができた。時差があるので表現に困るが、朝出発してからまともなものを食べていないため、とてもおなかが減った。そうこうしているうちに、1回目の食事がだされた。9時間30分にも及ぶ長距離のフライトは、肉体的にとても疲れる。大人でも疲れる長時間のフライトを、赤ちゃんにさせており、しかも、泣きわめかれると非常に迷惑だと思う。ただ、のっぴきならない事情があって飛行機に乗せるケースもあると思うので一概に言うことはできないが、公共のスペースでのマナーが分からないうちは、慎むべきだと思う。
2回目の食事のあとでも、全くおなかにたまらず、おなかが減って気分が悪くなりそうだったので、カップラーメンでもないか尋ねた。すると、JALの国際線にはカップラーメンひとち乗せていないようで、出すことができないと言われた。カナダ航空にしろ、シンガポール航空にしろ、無料または数百円でカップラーメンぐらいは提供してくれたので、それが当たり前のように思っていた。そんな当たり前のサービスすら提供できないのかと思い、次回以降はJAL以外の航空会社にしようと考え、腹立たしい気持ちでこの記事を書いていた。そのとき、フライトアテンダントのお姉さんが、余った機内食のパンとお茶をもってきてくれた。この対応を受けて、乗客のちょっとした言動にも注意深く耳を傾け、乗客が快適なフライトができるように最大限の配慮をしてくれるJALの姿勢に感銘を受けた。やはり、日本の航空会社、日本の企業、さすが天下のJALの対応は素晴らしいと感じた。

成田空港には定刻通り到着し、入国手続き、税関を抜け、預け荷物を引き取った。荷物をすべてカートに乗せ、マネーパートナーズで両替した米ドル現金3,000ドルを、たびるーむに受け取りに行った。インフォメーションがあったので、引き取り券に書いてあった簡易地図を見せ、場所を聞くと、すぐ左にあるエレベータで1つ下りて、左方向に行けばいいと教えてもらった。たびるーむに到着すると、早速引換券と米ドルを交換し、1/10/50ドル紙幣を適当に混ぜた500ドルパック6個分、約180枚の米ドル紙幣を数えた。それから、カナダドル建てのトラベラーズチェックは出番がなく、今後も使うことがないと判断し、後ろの外貨両替のカウンターで、日本円の現金にすべて換金した。トラベラーズチェックの換金には、10分弱かかった。パスポート確認、カウンターサイン確認、トラベラーズチェックのセキュリティの確認、個別に振られている番号を電話にて照会し、問題ないことをすべてうけてから現金とひきかえた。米ドルと日本円のトラベラーズチェックは、いざというときに便利だが、それ以外の通貨に関しては不便極まりない。結局、手間をかけて、手数料5,000円をアメックスに寄付したようなものだ。

その後、羽田空港行きのバスに乗るために、JALの受付窓口のお姉さんに、「高松までJALの飛行機で乗り継ぎたい。羽田空港に移動するにはどうすればいいか」尋ねた。すると、「隣のオレンジ色のカウンタでバスのチケットを買いなさい」と教えてくれた。また、JALがはいっているターミナル番号もきいておいた。バスのカウンタに着くと、あと5分ほどで出発するバスのチケットをとってくれ、すぐ隣の出口を出て正面に乗り場があると教えてくれた。バス乗り場に到着すると、係のお兄さんが、トランクルームに入れる荷物の引き受けを行っていた。道路が混雑しているので多少遅れる時間帯だと言われたが、そこまで遅延することはなかった。

空港に到着すると、JALの自動チェックイン機に予約番号を入力して、チェックイン作業を試みた。しかし、予約番号が無効であると表示されたんで、近くのインフォメーションに行き、お姉さんに予約確認書を見せてから、「チェックインをしたいのだけれど、どうすればよいか」聞いた。すると、すぐ後ろのカウンタに行くように教えてくれた。カウンタの列に並んでいると、横からお姉さんがやってきたので、予約確認書を見せるとカウンタまで案内してくれた。無事に搭乗券が発行されると、次に荷物を預ける場所を聞き移動した。中国・四国・九州行きの手荷物を預けるカウンタには長い行列ができており、田舎からでてきたおばあちゃんとおじいちゃんや、右も左も分からない兄ちゃんや姉ちゃんが、カウンタでああでもない、こうでもないとやっていた。

荷物を預けてから、羽田空港の2階にあったお店で、カツ丼ざるそばセットを注文した。その後、1階に戻り、マッサージを受けられる施設を、フロアに立っていたお姉さんに尋ねた。教えてもらったマッサージ施設にて、50分ほど指圧をうけ、半分近く寝てしまっていた。それから、セキュリティゲートをくぐり、高松行きの搭乗口に移動した。予定では8番ゲートだったが、天候不順のため、高松から羽田に来る飛行機が遅延しているようで、搭乗口が12番に変わり、出発時刻も20分ほど遅れていた。しめのラーメンを食べ、トイレを済ませてから、12番ゲートの近くの椅子で待っていた。ようやく飛行機に乗ると、フライトアテンダントさんに毛布を1枚もらい、その上からシートベルトを締め意識を飛ばした。 私の前の席に、赤ちゃん連れのお母さん座っており、周りはいい迷惑をした。ただし、それを見越して、飛行機が離陸する前から着陸する数分前までの間、完全熟睡をすることで対応した。高松に到着すると雨が降っていた。荷物を引き受けたあと、タクシーを拾い、自宅周辺のローソンまで移動した。

2011/09/14

某国際会議に参加し、イートンセンターに行ってみた

今朝は6時すぎから起き、9時すぎには会場入りした。次世代無線通信システムの応用研究に関する、パネルセッションに参加した。第2発表者は、思いがけない大御所の先生の講演だった。ドリンクサービスが無料であったので、ダイエットコーラ、氷入りのグラス、オレンジジュース、ペットボトルの水などをもらった。さすがに、それなりの規模の国際会議を、それなりの規模の会場でやるということは、すなわち、そういうことなのかと理解した。昼時になると、会場の外にビュッフェスタイルの昼食が提供された。私は昼食のチケットを購入していなかったため、こそっと混ざることもできたが、良心の呵責から、適当に外で食べることにした。いい加減、まともなものを食べたかったので、チャイナタウンに行ってみた。Union駅まで徒歩で移動し、そこから地下鉄でSt Patrick(セィンパパ)駅まで移動した。チャイナタウンを軽く散策していると、日本料理と書かれたお店があったので入ってみた。サイコロステーキ定食を注文すると、緑茶とみそ汁が先に出された。いずれの食べ物も日本で食べるのとほとんど変わらず、ようやく、腹にたまる、まともなものを食べることができた。ただ、周りを見渡すと、皆、ラーメンや寿司をコーラで食べていた。

トロント最大級のショッピングセンターであるイートンセンターに行くために、来た道を折り返した。途中にマッサージ店があり、料金表を立ち止まって見ていると、中からお姉さんが声をかけてきた。予約なしですぐにできるということだったので、30分ほど頼むことにした。指圧のようなマッサージでとても快適だったので、延長して60分コースにしてもらった。マッサージの後、「TIP」がどうのこうの言ってきた。あまり意味が分からなかったが、おそらく、私がチップの習慣がない日本人であるので、先にチップが欲しいということを伝えたかったのかもしれない。60分で48加ドル(約3,850円)だったので、20加ドル札を3枚ほど渡して、「5 dollar back,OK?」(5ドルおつりを下さい)と言った。するとお店のお姉さんは、5ドル札2枚と、コインを悲しそうに拾い上げていた。私は5ドル札を1枚だけ引き抜き、「5 dollar back to me, ok, so keep on the change」(5ドルだけ私に返して、おつりはとっておいて下さい)と伝えた。すると妙にうれしそうな顔に代わり、いすに座っていた店のオーナーとおぼしきおじさんも気さくに話しかけてきた。「バック」には、俗にお札(Buck)というニュアンスがある。そのため、お姉さんは、お釣りは5ドル札でくれと理解し、チップはくれないと思っていたのかもしれない。

St. Patrick駅からQueen(クイーン)駅まで地下鉄で移動し、案内標識に従って進むと、イートンセンターに到着した。3-5階建ての商店街が、地下鉄2-3駅ほど続いている巨大なショッピングセンターであった。とりあえず何をやって良いか分からなかったので、1階から順番に1往復半ほど中を散策した。途中にあった両替所にて50米ドル札を加ドルに両替し、地下のフードコートにて、テリヤキ焼きそばスープという日本料理を食べた。その後、Dundas(ダンダス)駅からBloor-Yonge駅に移動した。Bloor-Yonge駅に隣接するショッピング街を軽く散策してから、Yonge通り沿いにあった、「漁、家、酒」と書かれた日本料理のお店に入った。夕食に、「テリヤキ・ビーフ・オン・ライス」なるメニューをお持ち帰りで注文した。メニューにあった、「テリヤキ・豆腐・オン・ライス」も気になったが、次回の楽しみにとっておくことにした。ホテルに帰ってから荷造りをし、明日の移動に備えて寝ることにした。

2011/09/13

アマチュア無線ショップに行き、某国際会議のバンケットに参加した

トランシーバは持ってきたが、アンテナを忘れるというケアレスミスを補完するために、トロントのアマチュア無線機器を取り扱ってるショップに行くことにした。下調べの段階では、地下鉄でDonwsview(ダウンズビュー)駅に行き、バスでYork(ヨーク)大学へ行けば、1ブロックほどの距離にあることを確認した。Bloor-Yonge駅に併設されているフードコートにあったSUBWAYにて、おすすめのサンドイッチとコーヒーを注文した。それから、地下鉄の入り口でうちの先生と合流し、ヨーク大学を目指して移動した。ヨーク大学はとても大きな大学で、学生寮の一部には一軒家があった。この大学と比較すると、うちの大学は犬小屋以下の大きさに思えた。ヨーク大学を抜け、SW通りに出てから1ブロックで到着する予定であった。しかし、郊外の1ブロックはあり得ないほどの距離で、最終的に、バスを降りてから1時間は歩いたと思う。アマチュア無線のショップが近づいてくると、空にアンテナが建っているのに気が付いた。また、店の前には、怪しげなモービルホイップアンテナを、複数取り付けた車が止まっていた。この光景は、どうやら万国共通のようだ。ショップに入ると、様々な無線機が並んでいた。

お店の人に声をかけられたので、VX-3を見せ、144/430 MHz対応のハンディアンテナを探していることを伝えた。はじめに接客してくれた人はあまり詳しくないようで、途中から別のお兄さんに変わった。ダイヤモンドアンテナやコメットを勧めてくれたが、どちらも日本でいくらでも買えるので、米国のMFJのアンテナを選択した。はじめに出されたアンテナはBNC接続だったので、BNC-SMA変換コネクタを尋ねた。すると、SMA接続タイプのアンテナを出してくれたので、45.20加ドル(約3,600円)をCITIカードで支払った。その後店内をみていると、電鍵を見つけたので、うちの先生に軽く振ってみると食いついてきた。うちの先生が値段交渉をしてくれ、結構勉強してくれるようなので、よく分からないまま、BY-1という電鍵を、137.30加ドル(約11,000円)で買った。また、米国版JARL誌とYAESUの帽子もおまけでくれた。

帰りは、Finch(フィンチ)駅行きのバスで終点まで行き、そこから地下鉄でダウンタウンで移動すればよいということを教えてもった。この周辺に用事があるときは、Finch駅まで移動してからバスを乗り継ぐのが正解のようだ。昼食はマクドナルドへ行き、ビックマック、ポテトS(日本換算M)、コーラS(日本換算L)を、7.67加ドル(約620円)で注文した。コーラは自分で機械から注ぐシステムであった。注文した品を待っているとき、うしろから黒人さんがやってきて、マイカップ(大ジョッキーよりひとまわり大きいサイズ)で飲んでもいいか確認していた。


Finch駅に到着してから、Bloor-Yonge駅に移動し、一度ホテルに戻ってシャワーを浴びた。国際会議の会場に戻るためにスーツに着替えていると、ルームクリーニングの人がやってきた。そこで、「I will go out 30 minute later, OK?」(30分ほどしたら出かけます)と言うと、先に別の部屋の掃除に行った。5分ほどで着替えを済ませ、ホテルのロビーにあったソファーで待機した。新しくトークン(コイン式の地下鉄の乗車券)で、1コインが3加ドル(約240円)、4コインが10加ドル(約800円)を1つ買った。まだ明日も地下鉄を利用する予定なので、4つほど買ってもよかったが、自販機が10ドル紙幣しか受け付けてくれないので、カナダドル硬貨を投入してバラ売りで買った。

会場に入りいくつかのセッションを聴講してから、バンケットの会場に移動するバスが到着するホテルのエントランスで待機した。ウェスティン・ハーバーホテルのエントランスにいると、お金はあるところにはあるのだということがよく分かった。バンケットの会場は、煉瓦造りの倉庫のような広いお店で開催された。今回の国際会議は、最初から最後まで圧倒されることが多く、すべてが映画の中の世界、夢の中の出来事のような気がしてならない。料理は各自に、西洋料理のフルコースが順番に提供され、その中で料理の種類を事前に選んでいくタイプであった。ドリンクは自由にバーテンのお姉さんに言って注文するタイプで、1杯目はビール、2杯目は肉料理に合わせて赤ワイン、3杯目はカナディアン・ウィスキーをロックで頼んだ。酒の種類も全く分からず、オロオロ状態であったので、隣の独人の方が色々とアドバイスをくれたので助かった。また、料理を出された後、どうすればいいか全く分からなかったので、これもまた隣の独人の師匠のまねをさせていただいた。

このような国際会議に、40%弱の採択率で私の論文が採択されるところからはじまり、すべてのことがとてもよい勉強になった。無線通信の研究に関しては、それなりに研究の品質をあげることに専念し、それなりに努力もしてきたと自負している。そのような自分は、どうやら、また次のステージ、もうひとつ上の世界に招待してもらえたようだ。これから先、自分がどこに行くのか分からなくなってきた。今回の反省点は、いくら研究の品質が良くても、知識があっても、英語をコミュニケーションの道具として高度に操ることができなければ、すべてが御破算になってしまうということを、身を持って改めてこの上なく実感した。今の英語力であれば、英語圏でそれなりに通用するものであると思う。これは、2年前の韓国移動の教訓から学んだものであった。しかし、まだまだ英語力、とくに実践的な英語力が全く足りていないようで、日本に帰ったら最優先で英語力を強化することを強く決意した。

バンケットの余興に、バイオリンの生演奏と何かしらのダンスがはじまった。はじめてみるダンスであったので、隣の独人の師匠に聞いてみると、カナダ版タンゴだと教えてくれた。食後のコーヒーがだされた後、ふと店の外を見るとバスが止まっていた。なんとなく、うちの先生に振ると、どうやらそのバスに乗ってホテルまで戻るのが正解のようだ。バンケットはまだまだ続いていたが、自己責任で判断しなければならないということだった。帰りにピザ屋に寄って、1ピースのピザを買った。店の兄ちゃんに、ここのピザはおいしいねと声を掛けると、うれしそうにしていた。また、ピザができるのを待っていたお姉さんに軽く、あいさつもした。日本独特のギスギスした感じが一切なく、これが世界基準、世界標準だということを知った。買ったピザは、結局、食べずに寝てしまったため、翌日の朝食になった。

2011/09/12

ナイアガラの滝を見学した

朝6時すぎに起き、昨日着た服を洗濯した。シンガポールではなかなか洗濯物が乾かなかったが、こちらは1日できれいに乾いた。身支度を整え、7時すぎに先生と合流し、ホテルに隣接する日本料理のお店に行った。Full style american breakfast(米国式朝食)を注文した。サービスチップを含めて15加ドル(約1,200円)だった。クロワッサン、食パン、スクランブルエッグ、ソーセージのセットがでてきた。日本で提供される料理よりも、ひとまわり大きかった。

Bloor-Yonge駅から、地下鉄にてUnion駅へ移動した。入場口から長い行列ができていたので、最後尾に並んだ。どのお客さんも大量の手荷物を抱えていた。駅のホームに移動すると、ニューヨーク行きの電車が停車していた。ホームの高さが低いせいもあるが、日本の電車よりも一回り大きいように感じた。電車に乗ると、荷物を置くための棚が頭上に大きく設置されていた。はしごがあれば、荷物置き場で十分に寝られる大きさだ。座席も日本のグリーン車並の広さで、日本人の中では大柄だと言われる私でも、かなりゆったり座ることができた。ただし、現地の人には、それなりにちょうどよい広さのように見えた。

定刻どおり電車は出発し、10分くらい経過したところで、車内改札があった。電車の速さは、在来線の特急列車程度だった。それから20分ほどポメラで作業をしていると、急に眠くなってきた。座席が広かったので、2席分を使って、バッグを枕に横になることができた。それから1時間ほど寝た。起きてしばらくしてから、電車のトイレに行った。日本の電車と比べても中は広く設計されていた。定刻より20分ほど遅れて、Niagara Falls(ナイアガラフォール)駅に到着した。駅のホームは、とても簡素なもので、JR四国の普通列車しか停車しないような駅だった。そこから、道路を横切り、観光案内所兼バスの待合室のある建物に移動した。カウンタにて、帰りのトロント行きのバスの予約をしてから、タクシーを拾ってテーブルロックへ移動した。カナダ・ナイアガラの滝を上から眺め、アメリカ・ナイアガラの滝の方向へ移動すると、絵はがきやパンフレットでよく見る、ナイアガラの滝の光景があった。

そこの観光案内所のチケット売場にて、ピープルムーバの1日乗車券を購入した。コカコーラの自動販売機があったので、コーラを2.50米ドル(約200円)で買おうとしたところ、最初に入れた1米ドル札がつまったようだ。最終的に1米ドル札をあきらめかけた時に、吐き出してくれたのでよかったが、これからは、日本以外で自動販売機を使うことはやめた。また、無人の場所に設置されているお金を取り扱うような機械は、絶対に使うべきではないと理解した。結局コーラは、近くでパック寿司を売っているお店で買った。ピープルムーバに乗って、ニューヨーク・USAに徒歩でわたることができるレインボー橋に移動した。バス停から道路を横切り、カナダ側の橋の入り口に向かった。橋の入り口の前にあった両替機で、1米ドル札を1枚入れて、米ドル・クオーター硬貨を手に入れた。レインボー橋の通行料金は0.50米ドル(約40円)で、米ドルまたは加ドルのクオータ硬貨2枚で支払うことができた。基本的に米ドルとカナダドルのレートはほとんど変わらないが、わずかに米ドルの方が弱いので、そのときは意識しなかったが、米ドルで支払う方が日本円建てでは安いことになる。実は、米ドルの両替機は1米ドル札から受け付けてくれたが、加ドルの方は5加ドル札からしか対応していなかった。すなわち、カナダドルの方で両替をすると、クオーターコインが10枚も手に入ることになり、財布が非常に重たくなるようだ。2加ドルとかを混ぜて両替をやろうという考えが、こちらの方にはないようだ。

レインボーブリッジの上から見るナイアガラの滝は、写真を撮るには最高の場所にあった。また、橋の途中に、カナダとアメリカの国境があった。アメリカに入国する前に、入国審査があった。私の前に2人組のハングルを喋る旅行者がいた。若い彼女たちは、入国審査官と色々と話していた結果、最終的に入国することができなかったようで、レインボーブリッジを折り返していた。その後、私が呼ばれた。審査官から、入国してどこに行くのかと尋ねられたので、「Around here. I just see the Niagara Falls at America, ah ... USA side.」(この周辺で、ナイアガラフォールズをアメリカ側から見るためにきた)と答えた。また、滞在期間を聞かれたので、「About 2 or 3 hours」(2-3時間程度)と答えた。質問はそれだけで終わり、入国カードを渡された。それから、パスポート、入国カードと、入国税として6米ドル(約480円)を差し出した。その後、両手の指紋を機械でとり、無事に審査を終えて通過することができた。最終的に30分ほど足止めされた。

私が入国審査を受けているときに、日本人の学生さんがやってきた。彼は、電子辞書を取り出し質問に挑んでいた。審査官から、滞在期間を聞かれたにも関わらず、アトラクションがどうのこうのとか、聞かれもしない、しかも、よく分からないことを言っていた。審査官も笑いながら、まともに英語が話せる人はいないのかと嘆いていた。私の英語もかなりプアーなものだが、意思伝達に必要な最低限度はできる。少なくとも、海外に行くのであれば、最低限、自分の言いたいことを、ゆっくりでも、簡単な表現でもいいので、話せるようになってからだと感じた。アメリカ側に渡り、ショッピングセンターに入ると、「I love NY」のTシャツが売られていた。レインボーブリッジのこちら側は、アメリカのニューヨークなので、そのようなおみやげがあっても不思議ではなかった。昔から、アメリカのニューヨークに来たら絶対に欲しかった一品なので、すぐに購入を決断した。また、併設してあるフードコートにて、中華料理のプレートを注文した。それから、近隣の土産物屋に寄った。1時間ほど滞在してから、再度、レインボーブリッジを渡ってカナダに戻った。カナダに入国する前に、いくつか質問をされたが、うちの先生が先に行き、同行者という扱いで、私はパスポートのチェックだけで済ませることができた。

出入国の近くにあった土産物屋の中に、免税店があったので寄った。結論から言うと、レインボーブリッジを渡る前に、この免税店で買い物を済ませ、アメリカに入国して戻ってくるのが正解らしい。もうすでにアメリカから帰ってきたので、結果的に、ここの免税店で買い物をすることはできなかった。また、その下にもいくつかお店があり、数点のおみやげを買った。ピープルムーバに乗って、トロント行きのバス乗り場に戻ると、ちょうどバスの出発予定時刻の15分前だった。バス停で待っていると、同じ目的で待っている人たちがたくさんいた。定刻になってもバスは到着せず、30分がすぎたところで、うちの先生が予約窓口に状況を聞きに行った。すると、窓口の人は、すでにバスは発車しており、あなたがバスに乗り過ごしたと主張した。そして、次のバスが1時間ほどしたら発射するので、そちらに乗りなさいということだった。同じ境遇にいた北米の4人組のおばちゃんが、うちの先生に話しかけ、現在の状況を聞いてきた。そして、言われた通りのことを話すと、おばちゃんたちの表情がみるみるうちに変わった。その後、インターネットで予約しているセンターに電話をかけはじめた。そうこうしているうちに、同じ路線を提供する別の会社のバスが到着した。私たちが予約したRは、そもそも、次の便がでるかどうかも怪しいので、うちの先生が交渉して、到着した別のバス会社が運営するバスにチケットを切り替えるように言った。

予約システム上の問題か分からないが、窓口で購入したチケットに関しては切り替えることができた。しかし、インターネットで予約したおばちゃん4人組のチケットは切り替えることができないと言われたようだ。最終的に、無理矢理切り替え、バスに乗ってからも、コールセンターの人と1時間近く話をしていた。最後の20分は、バス中に響くまでヒートアップしていた。電話の相手では話にならなかったようなので、その人の上司の人を出せとか、明日の朝までに報告しろとか話していた。どこの世界でも、おばちゃんが最強ということだろう。

2時間のバス移動の末、トロントのダウンタウンに到着した。こちらのバスの運転が荒いせいか、人生で初めてバス酔いを経験した。最後の1時間は意識を飛ばすことでしのいだが、かなりつらかった。往路のVIA鉄道の電車が快適すぎたので、次回くることがあれば、迷わず、VIA鉄道の往復チケットを買うことにする。トロント~ナイアガラフォールズの移動は、多少料金があがるかもしれないし、またトロントを朝に出発してからナイアガラフォールズを夕方に出発する便の本数は、1日に2便しかなくて、とても不便かもしれない。しかし、日帰り観光では問題はなく、確実にベストな選択肢だと思う。


地下鉄を使ってBloor-Yonge駅に移動し、うちの先生と別れてから、駅に併設したフードコートで夕食にした。閉店間際だったため、焼きめし、天ぷら数点、飲み物のセットで6.00加ドル(約480円)であった。値段表をみると、少なくとも10加ドル(約800円)はするはずなので、かなりお得に食べることができた。帰りにドラッグストアに寄り、銀行に設置されたATMから、三井住友VISAカードの国際キャッシングを使って、カナダドルの現金を100加ドル(約8,000円)を引き出した。キャッシングといえば、直接的な借金をしているようで抵抗が強いが、現地通貨の現金をATMから引き出すには、最も手数料を安くあげる手段である。ただし、機械は信用できないので、銀行に設置しており、何かあってもすぐに対応ができる場所のATMを使った。また、私が使う前にも、現地の人が使っていたので、問題が発生する確率は小さいだろうと判断した。

2011/09/11

某国際会議で発表した

目覚ましが鳴る10分前に目がさめたので、そのまま起きた。今日のワークショップの午前中のセクションにて発表する。昨日食べきれなかったピザの残りを食べ、Bloor-Yonge駅に移動した。Bloor-Yonge駅に到着すると、構内に入るドアがしまっており、今日の営業はまだという張り紙がしてあった。すると、スターバックスのシャツを着たお姉さんが声をかけてきて、ウェスティンホテルに行きたいと言うと、ついてきてという返事のあと、バス停が見える場所まで案内してくれた。そして、そのバス停にくるバスに乗り、南に行けば大丈夫だと教えてくれた。

10分くらい待っていると、南行きのバスが次々と3-4台くらい並んで到着した。運賃が分からなかったので、右手に3加ドル(約240円)、左手に1加ドルコインを2-3枚もって、運転手しゃんに「What's fare?」(いくら?)と尋ねると、乗り換えチケットをくれた。そこで、「3 dollar?」(3ドル?)と聞くとうなずいてくれたので、それを信じて運賃箱にそのまま入れて乗車した。Union(ユニオン)駅を過ぎた1つ目のバス停にさしかかったとき、電光掲示板にフェリーの文字が現れたので、人の流れに乗って降りた。仮に間違っていたとしても、Union駅の南側なので、ウェスティンホテルまでの距離は、そこまでないのではないと判断した。案の定、バス停を降りてから南方面に1ブロックも歩かないうちに、目的地に到着した。

会場がウェスティンホテルというかなりアバウトな情報しかなかったので、受付の中を2-3周ほど迷った。ホテル1階のお店に、無線通信の学会でよく見かける先生が朝食を購入しており、そのすぐ側にスーツを着た若い日本人がいた。確実に同じ会議に参加する学生さんだと思ったので、軽く声をかけてみると正解だった。私と同じく受付がわからなかったようだ。3人寄ればなんとかという格言通り、ホテルのカンファレンス棟を発見し、無事に受付を済ませることができた。会場に入ると、ワークショップ開催に先立ち、幹事の方が簡単な説明をしていた。座席後方には、ワイングラスと氷水がおいてあったので、1杯ほど注いでから、座席に着いた。第1セッションが終了し、私が発表する予定のセクションまで、約15分の休憩があった。ロビーにはコーヒーがあったので、コップに半分ほどついで休憩した。ふと時計をみると、次のセッション開始まで2-3分前だったので、飲みかけのコーヒーを飲み干し、あわてて会場に入った。会場では、座長が発表者の確認をしており、絶妙のタイミンで呼ばれた。

午前の最後のセッションは、4件の発表があり、私は第2発表者であった。しかし、第1発表者がいないということで、急きょ私から発表することになった。発表・質疑応答は大きな問題なくこなすことができたが、あわてて壇上に移動したため、うっかりICレコーダで自分の発表を録音することを忘れてしまった。また、発表後に4ヶ月ほど前に参加したときに質問してくれた某先生がいたので、簡単にあいさつを済ませた。どうやら、私のことを覚えてくれていたようで、とてもうれしかった。昼休憩は2時間ほどあったので、近くのバーガーショップにてチーズバーガーのセットを注文した。バーガー、ポテト、コーラのセットで8加ドル(約640円)だった。注文してから中身を焼いていたので、実際にものが届くまで時間がかかった。本場のバーガーだけあって、とてもおいしく、一度これを食べると、日本のバーガーは食べられないと感じた。ただし、一番小さいサイズを注文したにも関わらず、とても量が多く、朝食をほとんど食べずにおなかが限界まで減っていたおかげで、かろうじて食べきることができた。

会場に戻り午後のセッションをすべて終えてから、約2時間後にウェルカムパーティがあった。その待ち時間を使って、Union駅に行き、明日ナイアガラフォールズに行くための電車の切符を買った。Union駅から再度会場に戻ると、まだ30分ほど時間があったので、公衆電話からブラステルを経由して自宅宛に電話をかけた。公衆電話をとりあげると、発信音があったので、そのままブラステルのカナダのフリーダイヤルにかけるとつながった。ブラステルを使って日本に電話をかけると、固定電話宛が20円/分、携帯電話が30円/分で6秒刻みで課金されるようだ。NTT DoCoMoの国際ローミングサービスを使って電話をかけると、140円/分かかるうえに、他の国際電話サービスと比較しても格安だと思った。

ウェルカムパーティの会場に入ると、キーボード、サックス、ドラムによる生演奏がはじまった。ビールと簡単なおつまみで、映画のワンシーンのような雰囲気に酔ってしまった。ドリンクは2杯まで選ぶことができたので、2杯目は水が欲しかった。そこで、バーテンのおじさんに「Water」(水)と3回くらい言ったが全く通じなかった。そこで、「Red wine」(赤ワイン)と言ってみるとあっさり通じて、ワイングラスになみなみと注いでくれた。前回のシンガポール移動から今回のカナダ移動の疲れと、国際会議での発表の緊張、そしてそれからくる疲労の前には、赤ワインは強すぎた。久しぶりに酔いが完全にまわった。しばらく経つと、生演奏に変わってお姉さん4人組による生コーラスがはじまった。それを聞いていると、カナダの人に声をかけられた。要するに、私の発表がとても興味深い内容であったということだった。今まで、こういう形で評価されたことはなかったので、とてもうれしかった。

1時間くらい参加してロビーにでると、ワークショップ参加者による親睦会を開くために人が集まっていた。軽く顔を出すだけと、その流れに付いていった。場所が近くのパブだったので座席数が限られており、某大御所の先生たちに囲まれる形になった。話に参加というよりも、某大御所の先生たちの貴重なお話を聞くことによって、とても勉強になった。また、隣に座っていたのは、次世代携帯電話の標準化にも携わっている先生であった。私のつたない英語にもいやな顔をせず、いろいろと気にかけてくれた。その中で、博士号をとった人でも2つ以上のレイヤを考慮することは難しいのに、まだ、博士号をとっている段階にいる私が、クロスレイヤ設計のフレーワークを検討し発表していることに、とてもチャレンジングなことをしているとおっしゃってくれた。博士号をとるためだけであれば、研究に対してそこまでのクオリティーは要求されないだろうし、むしろ、チャレンジングすぎる研究は、新しい問題をつくるであろう。しかし、それをとても評価して、しかも、他の大御所の先生方に覚えてくれていることを考えると、私の研究テーマ選びは間違っていなかったと確信した。

また、前に座っていた日本人の先生が、適切に英語をフォローしてくれた。正直な感想を言うと、2年前の反省を生かして、リアルタイムに英語が出るような訓練をした成果で、自分の言いたいことは少なくともでるようになった。しかし、英語の能力がまだまだ不足しているということを、身をもって知らされた。これは、トーイックやトーフルで何点とれるかという能力ではなく、現実的に英語を道具として使え、会話のキャッチボールができる能力が重要であることを再確認した。帰りはUnion駅まで徒歩で移動し、地下鉄を使ってBloor-Young駅まで移動した。途中、2駅ほど乗り過ごしてしまった。

2011/09/10

バンクーバー経由でトロントに移動した

日本時間であれば9月11日になるはずだが、日付変更線を越えたため、9月10日のままである。すなわち、9月10日の午前10時すぎに高松を出発して、バンクーバーに到着するのが9月10日の午前10時すぎということになる。バンクーバー到着まであと2時間というタイミングで、スープとスクランブルエッグを挟んだパンという簡単な朝食が出された。ここ数年、24時間営業の生活が続いてるため、割と時差ボケにはなりにくいのではないかと思っている。とりあえず、機内で2時間ほど仮眠をとることができたので、カナダ国内の移動でも1-2時間、ホテルに到着してから、2-3時間ほど睡眠をとれば、なんとか体が持ちそうな気がする。バンクーバー空港に到着してから、入国審査、手荷物の引き受け、税関を済ませ、国内線乗り継ぎのカウンタに移動した。入国審査では、韓国、シンガポール以上に詳細に聞かれた。おおまかな内容を次にまとめた。英語がある程度以上できなければ、確実に入国できないと思った。

スーツケースに張り付いていたバッケージクレームが邪魔くさかったので外したが、トロント空港まで同じ番号で通して使えるらしい。私の場合は新しいタグを発行してくれたのでよかったが、面倒な手間をかけてしまった。その後、セキュリティゲートを抜け、搭乗口となる44番ゲートに移動した。44番ゲートの近くにはスターバックス、アップルストア、ラコステ、ハンバーガーショップ、コンビニなどがあった。待合スペースには、無料で使える無線LANサービスが提供されていたが、電波は拾ってログインまではできるが、なかなかその先に進むことができなかった。おそらく、根本的にチャネルが不足しているのだろう。

インターネット接続はあきらめ、軽食コーナーへ行き、6.93加ドル(約550円)で、ベーグルとコーヒーを注文した。ベーグルは半分に切って、中にチーズやハムなどが挟んであり、仕上げに軽く焼き上げてくれた。コーヒーは、一番小さいサイズを注文したが、それでも日本でふつうサイズまたは大きいサイズに該当する量だった。最終的に機内に持ち込んで飲みきったが、しばらくコーヒーはいらないかもしれない。ペットボトル飲料が販売されているが、日本では500mlが周流だが、こちらでは600ml弱のボトルばかりであった。物価は、日本の1.3-1.7倍程度に感じる。これは、最近の円高のおかげで、物価高がかなり緩和されていると思う。仮に1ドルが100円前後を想定すると、物価は2倍程度になるため、噂通りの水準になる。ただし量も多いので、物価は同じくらいかもしれない。バンクーバーは、高松や東京と比べて気温が10度ほど低いため、とても快適だという機内アナウンスが入った。空港から外に出ていないので実際のところは分からないが、現地の人は、皆、半袖やノースリーブの服装が多かった。

13時のフライトの飛行機は、40分以上前から搭乗手続きがはじまった。日本では10分前からはじまるが、こちらの人は、すごく非効率的でのんびりと作業を進めていたため、それでも定刻を10分程度遅れた。成田空港~バンクーバー空港の飛行機のときと同じように、エアカナダのこちらの航空機でも、3人掛けのいすの通路側で、中央の席が空いていた。今回の長距離移動は、とても運がよかった。もし、見えない力が働いているのであれば、その答えはひとつしかないだろう。トロント空港に到着する1時間ほど前で、よくよく考えてみると、高松を出発してから、ほぼ24時間が経過している。ホテルに到着予定が、土曜日の21時すぎなので、日本は日曜日の朝になると思う。ちょうど昼夜が逆転し、日本が1日進んでいるので、実家に電話をかけるタイミングは、素直に朝と夜がよさそうだ。

トロント空港に到着後、空港にあった両替所で日本円現金を5,000円ほど、カナダドル現金に両替したところ、47.50加ドルが返ってきた(C$1 = \105.26)。それから、Bloor-Yonge(ブロー・ヤン)駅に移動するための地下鉄に乗るために、Kipling(キプリン)駅までシャトルバスで移動した。バスの料金箱に3加ドル(約240円)を入れると、ヤング・ブロア駅まで乗ることができた。バスから地下鉄の乗り換えの際も、乗り換えチケットが必要なかった。Bloor-Yonge駅に到着すると、Yonge通りを1ブロック南下し、滞在予定のコンフォートホテル・ダウンタウンにチェックインした。チェックインの際にクレジットカードが必要だったので、CITIカードをだした。荷物を部屋に置き、夜食を買うためにホテル周辺を散策した。ホテルに来る途中にあったピザ屋さんにて、2ピースのピザを約10加ドル(約800円)で購入した。また、深夜まであいているドラッグストアにて、水と食べ物子を購入し、11.53加ドル(約920円)を支払った。ホテルにってから、シャワーで汗を流し、目覚ましを6時30分にセットして寝た。

カナダに向けて出発

某国際会議に参加するために、約1週間の日程でカナダに移動する。朝6時すぎに起き、昨晩買っておいたおにぎりと野菜で簡単に朝食を済ませた。1時間ほどかけて、荷物の最終確認、メインパソコンからの主データの移動作業を行った。8時30分頃にハロータクシーに電話をかけ、9時30分に自宅からゆめタウンのバス停まで移動するためのタクシーを予約した。ゆめタウンのバス停に到着し時刻表をみてみると、時間的に当初予定していたよりも1本早いバスに乗ることができそうだった。待合室にて15分ほど待っていると、高松空港行きのリムジンバスがやってきた。ゆめタウンのバス停から高松空港まで、約30分ほどかかった。

高松空港に到着すると、JALのカウンタに行き、搭乗券を発行してもらった。それから10分ほど待っていると、スーツケースを預けるための手続きが始まった。その後、2階にある三井住友VISAゴールド会員向けのラウンジに行き、1時間ほど時間を調整した。ドリンクは2杯まで無料だったんで、オレンジジュースと冷水を飲んだ。また、コンセント付きの自習室のようなスペースがあったので、後日提出予定の報告書の一部の作成作業を進めた。11時20分すぎにラウンジを出て、セキュリティーゲートを通過した。定刻の10分前に飛行機に乗り席でくつろいでいると、2つ前の席にうちの先生が座るのが見えた。13時30分前に羽田空港に到着し、高松で預けた荷物を引き取るためにターンテーブルの前で待機した。さすがに国内線であるためか、機内持ち込みの手荷物で済ませている人が多いようで、待っている人は5-6人しかいなかった。そのまま制限エリアを出て、成田空港への乗り継ぎのリムジンバスのチケットを購入した。待ち合わせは15分ほどほどで、バス内も思ったよりも混雑していなかった。

約1.5時間のバスでの移動途中で、アマチュア無線機のモバイルアンテナを自宅に忘れたことに気がついた。うちの先生は、小型のトランシーバを持参してやる気マンマンなようなので、トロント市内で入手する必要がある。トロントはカナダでは有数の都市なので、衰退しているとはいえ、アマチュア無線機を取り扱うお店はあると信じたい。また、カナダのアマチュア無線家と交流できればうれしい。それにしても、アマチュア無線の許可をカナダの行政機関にエアメールでもらい、証明書類をきちんと持ってきたにも関わらず、アンテナを忘れるのは、ケアレスミスもすぎると感じた。成田空港に到着すると、早々にカウンタに寄って手荷物を預けた。うちの先生の同伴ということで、優先カウンタにて、優先手荷物として預けることができた。また、JALのさくらラウンジに同伴として入ることができた。ちょうど飛行機の乗り継ぎの関係だと思うが、さくらラウンジ内は人が少な目だった。とりあえずフロア内を一周まわってから、受付の人に軽食が食べられる場所を教えてもらった。その後、うちの先生と一緒に上の階にあがり、JAL特製カレーライス、サラダ、スープ、その他を食べた。また、1.5時間ほどインターネットに接続したオンライン作業を済ませ、30分前に搭乗口へ移動した。

飛行機に搭乗してしばらくすると、急激な睡魔に襲われたため、1時間ほど熟睡してしまった。それから目が覚めてしばらくすると機内食が配られた。チキンとフィッシュから選ぶことができたので、今回はチキンを選択した。座席は3人掛けの通路側であったが、中央の座席に座っていた人が別の座席に移動したため、1.5座席分にゆっくりと座ることができた。カナダ入国に必要な税関へ提出する書類を記述する際に、100%自信がない英単語が2-3個あったので、電子辞書を使って完璧に翻訳した。出発する際、電子辞書は過去の海外渡航で全く使わなかったので、今回は持ち物リストから除外していたが、念のために持ってきておいて正解だった。

2011/09/09

明日からカナダ移動だった

変な思い込みで、カナダ移動は日曜日からだと勘違いをしていた。とりあえず、朝一で荷物のパックを済ませたので、その他の作業を片付けることに決めた。慌ただしい一日になりそうだ。

2011/09/01

ひきこもった一週間

この1週間は非常に長くつらかった。その間に、台風がきたり、そのた色々なことがあった。起きている時間のすべてを使って、やらなければならないことを片っ端から片付けて行った。しかし、いまいち片付ききっていない。カナダ移動が近いので、しばらく、慌ただしい生活が継続するだろう。次回、ゆっくりできるのは、カナダ移動中と11月に入ってからになるだろう。さて、がんばろう。