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2013年5月 管理人

2012/03/06

あるブログ記事を読んでの感想

C++言語を高度に操ることができると誰しも認める、ある方のブログ記事に目がとまった。

 理想をいえば、本物のC++プログラマーとして働きつつ、余暇に、ブログでC++について書くべきだった。そうすれば、最新の技術から取り残されることもない。完全な本を書き上げるのは無理だが、短い記事なら書ける。いまだにこのブログの昔のC++記事にも検索から飛んでくる人間がいることから考えても、昔、拙い知識で書いた記事の方が、よほど日本のC++プログラマーの役に立っている。あるいは、執筆中の本をGFDLのような自由なライセンスで公開して、一人ではなくコミュニティで作成する自由な著作物として発展させていくべきだったのかもしれない。直接に金銭的な利益は得られないとしても、より優れた日本語のC++のドキュメントが得られる。その方が、よほど日本のC++プログラマーを利する結果になっただろうに、ああ、失敗した。
 問題は、私の働くべき職場がないのだ。本物のC++プログラマーを必要とする職場が日本にないのだ。かつて何社も求人広告をあたってみたが、C++を本気で使うような職はみつからなかった。たとえあるにしても、新卒既卒のお手軽学歴フィルターを採用しているので、私などは門前払いなのだ。学歴フィルターがなかったとしても、本物のC++プログラマーを必要とする仕事は、C++以外の高度な技能、自然言語処理とかコンパイラーとか3Dプログラミングとか数学とか物理学とかを必要とするので、結局、私では役に立たないのだ。詰んでいる。
 一体どこで間違えたのだろう。英語を学んだことに問題はないはずだ。C++を選んだことにも問題はないはずだ。C++の他に許せる言語はJavascriptしかなかったが、Dartのある今、Javascriptはすみやかに滅ぶべきである。新しい技術を学ぶことにも抵抗はないが、どうも好みが激しい。JavaやObjective-Cなどは死んでも使いたくない。これでは、まともな仕事が見つからないわけだ。(出典『バイトをはじめることにした:http://cpplover.blogspot.com/2012/03/blog-post_06.html』) 

私は高校時代に出会ったプログラミング言語C++を究めるために、大学に入ってから改めて勉強し直し、今では上級者と自分でも言える程度に言語の知識を高めてきた。大学3年生の研究室配属の際には、このスキルを活かしてプログラミング関係の研究室での活動が期待されていた。しかし私が向かったのは、全く新しい分野、移動通信の研究領域である。移動通信の研究領域は工学部の中でも求められている知識や技術が高く、すべてを一からやり直した。また研究テーマは、国内・海外を問わず、通信・ネットワークの研究者たちが必要性を認識していながら、手をこまねいている研究領域のひとつである「クロスレイヤ」に挑戦した。

国際会議などで出会った先輩研究者たちからは、その挑戦的な研究内容を賞賛してくれる一方、ある単一の領域を究めることすら困難な分野において、複数の領域にまたがる研究はリスクが高すぎるとも言われた。もし、研究テーマを選択したときに戻れるならば、過去の自分に対し、「その研究テーマには手を出すな」と警鐘を鳴らしたと思う。まだ22歳で、体力もやる気もあったからこそ、ここまで来ることができ、結果的には現状のテーマに対しては不満はない。不満があるとすれば、クロスレイヤというテーマを研究する人がいない点、私のアイデアを理解できる人にもっと出会いたい点だけだ。

さて、C++言語はできるが、研究室配属のときにあえてその道を選択しなかった一番の理由は、プログラミング言語は「道具」であるからだ。すなわち、プログラミングを研究の「目的」ではなく、あくまで「道具」としなければ、まさに引用したブログ記事と同じ道をたどることを予期したからだ。また、通信の世界に入った理由は、工学の研究の中において、人がいる限り、通信・ネットワークの領域は不滅だと考えたからだ。とくにネットワークの知識はそれなりにあるため、自分の弱点である通信の領域を究めることにした。

研究テーマを決め、うちの先生からアドバイスを受けた。すなわち、「通信の世界でも、通信とネットワークの両方の知識がある人はほとんどいない。だから、君はそれになりなさい。」に従った。どちらか一方の専門家は掃いて捨てるほどいるが、その両方となると数は限定され必ず強みになると助言してもらった。

結論を述べると、プログラミングは所詮「道具」、英語は所詮「道具」である。できるのは当たり前、高度に操れるのも当たり前、それを「目的」とはしないことが重要であると思う。実際は、その道のプロと言われる人であっても、英語はできない、パソコンを修理できない、プログラミングはできない、という人は当然のようにいる。しかし、それでも研究はできると感じている。その理由は、各々、自分の得意な部分を他人と比べて十分に引き離すことにより、自分だけの強みを持っているからだと思う。私の場合は上述したことを実践しただけだが、そのことに気づかせてくれる人が身近にいることが、分かれ道を選択する上で間違えないことに繋がるのではないかと感じる。

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