食料品を買うために、ゆめタウン高松に行くと、ゆめポイント5倍セールを行っていた。また、お盆の時期の土曜日の午後という条件も重なり、駐車場、店内ともに混雑していた。以前から欲しかった、飛行機の機内に持ち込めるサイズで、ハードケース型のスーツケースを購入した。靴・バッグ類はポイント10倍で、しかも携帯電話会員の500円割引クーポンを使ったため、予想していたよりも十分安く購入することができた。その後、食料品売り場にて、隅々までまわって生活必需品の買い出しを行った。買い物かごに山盛り買ったので、7,000円を超えてしまった。帰りに、非セルフ式のコスモ石油に寄り、発々にガソリンを足してもらった。案の定、発々に燃料を足したことがない兄ちゃんだったため、入れるときは少しずつ入れ、様子を見ながらでないとあふれてしまうと注意したが、限界ラインを超えてなみなみと注いでしまった。適正量を超えたガソリンに関しては、車の方へ移してもらったので問題はなかったが、ベテラン風の人は、ああやっぱり的な顔をして謝ってきた。
ようこそHAM-RADIO.ASIA
このウェブサイトは、うどん県(旧香川県)から発信している、完全に趣味に走った内容ばかりで構成されています。駄文ばかりですが、よろしくおつきあい下さい。本ブログの左側に、ちょコム送金口座の情報を試験的に公開します。こんなご時世ですが、私のブログに寄付・ドネーションをしていただける方は、よろしくお願いします。クレジットカードから簡単に決済することが可能です。また、銀行口座への振込みでもお待ちしております。
なお、このウェブサイトは、任意団体ダーファミリーが運営・管理を行っております。
2013年5月 管理人
2010/08/07
2010/08/05
車の整備関係を済ませた
朝7時すぎに起きて、1時間ほどプログラムの作成を行った。8時すぎに、ご飯が炊けたので、アサリの味噌汁と目玉焼きで朝食をとった。その後、プログラミングを再開し、12時すぎにナポリタンを作って食べた。その後、大学へ行き、事務的な作業を片づけた。大学からの帰りに、クリーニング屋さんに寄り夏スーツと、併設するコインランドリーに洗濯物を出した。それから、洗車のためにガソリンスタンド、ワイパーゴムを替えるためにオートバックス、夕食に寿司を食べるためにスシローへ寄った。
2010/08/04
2010/08/02
高松に戻ってきたら契約駐車場に迷惑駐車されていた
19時すぎまで、松山でやらなければならない作業を行い、20時頃に高松に向けて出発した。さすがに夜間であるためどの道路も走りやすく、22時前には到着した。高松に着いて自分の借りている駐車場に停めようとしたとき、どこかの誰かが無断で駐車していた。とりあえず、管理会社の夜間電話に連絡し、臨時で駐車スペースを貸してもらい、そのまま警察110番へ通報した。110番に電話し現状を伝えると、最寄りの警察署の電話番号を案内してくれた。そちらに車のナンバーを伝えたが、登録している人に連絡が取れなかったようだ。証拠写真を撮影し、「車のナンバー殿 ここは契約駐車場です。速やかに車両の撤去をお願いします。 管理人」と書いた紙をパソコンで作成し、ワイパーのところに挟んでおいた。常識的な範囲で対応でき、車の所有者に柔らかく伝わってくれるとありがたい。
2010/08/01
七七日の法要を終えて
父が5月のゴールデンウィーク明けに体調を崩し、約1ヶ月の入院生活の末、6月18日に亡くなりました。5-7月は高松と松山の往復生活が続き、精神的にも肉体的にも限界を超える状況でした。私は長男・一人っ子であるため、全責任を一人で引き受けなければなりませんでした。突然の訃報にて、ご心配とご迷惑をおかけ致しました皆様には、この場をお借りしてお詫びと御礼を申し上げます。
さて、先日、無事に七七日の法要を終えることができ、ここ3ヶ月ばかり続いた非常事態も一段落つこうとしている。それまで頼りにしていた親戚まわりの50歳を余裕で過ぎた大人たちでさえ、現状を受け入れられずにその場で泣き崩れるか、呆然と立ち尽くすことしかできない状況の中、最年少の私の肩に全てがかかったのは辛かった。人はよく、「ある種の試練」という言葉で表現してくれたが、割とその表現は的を射ていると思う。父の勤務先の人たち、久しぶりに顔を合わせた親戚たちの態度が、通夜・告別式の前後で従来の子供扱いから一人前の大人を見る目と変わったことが分かった。
大人として認めてもらうためには、自分が主催する冠婚葬祭を適切に執り行うことができるか否かだと思う。すなわち、どのような状況であっても、年齢や性別に関わらず、この試練をきちんと乗り越えたとき、ようやく他の人から認められるものだと思う。一番頼りにしていた人がいなくなることで、これからは自分自信の判断が問われる中、その責任を適切に果たしていこうと思った。
さて、先日、無事に七七日の法要を終えることができ、ここ3ヶ月ばかり続いた非常事態も一段落つこうとしている。それまで頼りにしていた親戚まわりの50歳を余裕で過ぎた大人たちでさえ、現状を受け入れられずにその場で泣き崩れるか、呆然と立ち尽くすことしかできない状況の中、最年少の私の肩に全てがかかったのは辛かった。人はよく、「ある種の試練」という言葉で表現してくれたが、割とその表現は的を射ていると思う。父の勤務先の人たち、久しぶりに顔を合わせた親戚たちの態度が、通夜・告別式の前後で従来の子供扱いから一人前の大人を見る目と変わったことが分かった。
大人として認めてもらうためには、自分が主催する冠婚葬祭を適切に執り行うことができるか否かだと思う。すなわち、どのような状況であっても、年齢や性別に関わらず、この試練をきちんと乗り越えたとき、ようやく他の人から認められるものだと思う。一番頼りにしていた人がいなくなることで、これからは自分自信の判断が問われる中、その責任を適切に果たしていこうと思った。
登録:
投稿 (Atom)